陶磁器を日常に取り入れてみよう!【陶磁器のおしゃれな使い方】
2016/04/21
NOYR
2016/02/12 更新
古くから私たち日本人の生活に密着し、多種多様な姿で私たちを魅了する陶磁器。けれどもちょっとお高いイメージもあるかと思われます。今回は陶器と磁器の違いや、有名陶磁器のご紹介、陶器や磁器の食器似合う和食のレシピなど魅力あふれる陶磁器の世界をご紹介します。
つまり、陶磁器とは陶器や磁器などの焼きものの総称のことなんですね。そして、陶器と磁器の違いは材料となる粘土やガラス質となる成分の違いとその性質にあるのです。
陶器
陶器の原材料は粘土(所謂陶土)を用いて800度~1200度で焼き上げます。そのシルエットはぽってりとしていて素朴で温かみのあるものが多く、不透明で色合いも淡いものが多いです。また多孔質なので吸水性も高く、叩くと鈍い音がします。
磁器
一方、磁器はカオリンなど長石を多く含む石質の強い粘土(所謂磁土)を用いて作られ、焼成するときの温度も1200度~1400度と陶器と比べるととても高い温度で焼き上げます。シルエットはスマートで透明感が高く色合いも純白色がほとんどです。表面もツルツルとして叩くと金属のような音がします。
有田焼(ありたやき)は、佐賀県有田町を中心に焼かれる磁器である。その積み出しが伊万里港からなされていたことにより、「伊万里(いまり)」や伊万里焼とも呼ばれる。泉山陶石、天草陶石などを原料としているが、磁器の種類によって使い分けている。
17世紀初頭に朝鮮の陶工・李参平たちによって泉山で磁土が発見され、磁器の焼成が現在の佐賀県有田町にて日本で初めて行われました。その作品は製作時期や様式によって『初期伊万里様式』、『柿右衛門様式』、『金襴手様式』に大きく分かれます。
初期伊万里
有田焼が始まった1610年頃~1650年頃までに作られた作品は『初期伊万里』と呼ばれ、厚みのある器に白地で青い釉薬で荒く図柄が描かれているのが特徴です。
柿右衛門様式
1645年、初代柿右衛門が赤い釉薬を用いた絵付け(赤絵)に成功し、所謂『柿右衛門様式』が誕生しました。赤を基調とし、青、黄、緑など色鮮やかな釉薬を用いた緻密な図案が描かれているのが特徴で、1670年~1690年代まで流行しました。海外にも多く輸出され、熱狂的なファンも多かったようです。
金襴手様式
1688年~1704年(江戸時代元禄期)には『金襴手様式』が生まれました。これは金彩を用いた豪華絢爛さが特徴で、柿右衛門様式からさらに細密な図案が施されています。ヨーロッパでも広く愛好され、現在でも美術館やお城を彩る美術品として愛され続けています。
美濃焼(みのやき、Mino Yaki - Mino Ware)とは、岐阜県土岐市、多治見市、瑞浪市、可児市を主たる産地とする陶磁器の総称である。
1978年(昭和53年)7月22日に、通商産業省(現経済産業省)伝統的工芸品に認定されている。
美濃焼は日本の陶器として最も古いものの一つとされ、5世紀頃に朝鮮半島から窯とロクロが須恵器の製法とともに伝えられたのが始まりとされています。現在では陶磁器における食器の60%のシェアを誇り、身近な陶器といえば美濃焼といわれるほどです。
志野焼(古絵志野茶碗)
室町時代の茶人である志野宗信が美濃の陶工に作らせたのが始まりとされてる陶器です。たっぷりと釉薬が施された気泡状の肌に淡い色味に素朴な温かみのある独特な様子が特徴で、飲み口あたりなど釉薬の薄い部分には緋色の火色と呼ばれる模様が浮き出ています。どこか親しみやすさを感じる陶器です。
織部焼(織部扇形蓋物)
織部役は千利休の高弟である大名茶人・古田織部の指導よって創始された陶器で、深い緑色の緑釉に奇抜で独創的な形状と幾何学的な紋様が特徴です。作風によって『黒織部』、『青織部』、『宗織部』と区別されます。これら陶器たちは現代にも通じる先鋭的なデザインで今なお高い評価を得ています。
九谷焼とは江戸時代前期に誕生した陶磁器で、花鳥風月を多種多様な色釉薬で描いた色鮮やかな彩色紋様が特徴です。石川県の南部、金沢市や小松市、加賀市、能美市で主に生産されています。
「古九谷」と呼ばれる磁器は、青、緑、黄などの濃色を多用した華麗な色使いと大胆で斬新な図柄が特色で、様式から祥瑞手(しょんずいで)、五彩手、青手などに分類されている。
去年、九谷焼が『機動戦士ガンダム』とコラボした食器を作ったことも話題になりました。多種多様な色を用いて作られる九谷焼に躍動感ある絵図はとても相性が合い、またアニメ作品の絵図ながらも気品を感じられる逸品です。
信楽焼は滋賀県甲賀市信楽を中心に作られる陶磁器で、日本六大古窯として有名です。たぬきの置物が有名ですが実は壺や皿などの日常に使う陶器も生産しています。その特徴は信楽の土特有の土味を生かした素朴な風情で作られた陶器は、あたたかみや素朴さが親しみやすさを醸し出しています。
信楽焼の店舗(古賀市信楽町)
信楽焼で有名なのはやはりたぬきの置物。信楽焼本場の古賀市信楽町では大きな信楽焼のたぬきが展示してあります。『たぬき=他を抜く』という名前と周囲を見渡せるようぎょろりとした目と大きな顔は気配り上手で顔が広いという意味があり、商売繁盛の縁起物として今なお愛され続けています。
益子焼は栃木県芳賀郡益子町で作られている陶器で、ずっしりとしてごつごつとした表面が特徴です。江戸時代の末期に常陸国笠間藩(現茨城県笠間市)で陶工の修業をした大塚啓三郎が益子に窯を築いて陶磁器生産を始めたのが最初とされています。
1927年より創作活動を開始した濱田庄司によって花器・茶器などの民芸品が作られるようになり、日本全国に知られることとなる。 その後、1959年に加守田章二が開いた窯により、民芸一辺倒だった益子の作陶に現代的な独創性が加わった。
また、1979年に通商産業省(現経済産業省)により伝統的工芸品に指定され、海外ではイギリスの陶芸家であるバーナード・リーチ氏の普及活動などにより益子焼は世界的にも知名度がある陶磁器となりました。
益子焼の登窯
益子焼を作るうえで重要なのがこの『登窯』です。登窯は陶磁器などを大量生産するために作られた焼成窯のことで、斜面や地形を利用して温度を一定に保てるようになっています。益子焼の登窯は焼成室が連なっており、イモムシのような外見です。
益子焼の窯元である『益子焼 つかもと』では、陶磁器を作る工程を見学したり、陶芸体験で陶器製の食器を作るなどの催しが行われています。実際に陶磁器に触れてみて、自分だけの世界でただ一つの陶器の食器を作ってみるのもいいかもしれませんね。
備前焼(びぜんやき)は、岡山県備前市周辺を産地とする炻器。日本六古窯の一つに数えられる。備前市伊部地区で盛んであることから「伊部焼(いんべやき)」との別名も持つ。同地区で数多く見られる煉瓦造りの四角い煙突は備前焼の窯のものである。
備前焼の食器
備前焼の陶磁器の特徴は釉薬を用いず高温で焼成されており、釉薬を用いた陶器特有のガラス質によるつやが一切なく、素朴な風情です。また、丈夫で使い勝手の良さか古くから日用品としても愛用されてきた陶器でもあります。使いこむごとに味の出る渋さが特徴の陶器です。
備前市伊部町の窯元
備前焼は高温で焼成して作られる陶器で、登窯を使用しています。この大きな四角い煙突は備前焼の窯のもので、象徴とも言えます。
普段の食卓に上るおかずも素敵な陶器や磁器の食器に盛ればそれだけで風流を感じます。今回はそんな陶磁器の食器に似合う和食のレシピをいくつかご紹介します。
材料(4人分)
サラダ油大さじ1
玉ねぎ1個
じゃがいも4個
にんじん1本
豚バラ薄切り肉200g
春雨50g
だし汁3カップ
しょうゆ大さじ4
みりん大さじ4
砂糖大さじ1
じゃがいもは一口大に切って、水に10分さらし、水けをきる。薄く角をそぎ落とす。
玉ねぎは薄切りにする。にんじんは一口大の乱切りにする。豚肉は一口大に切る。
フライパンにサラダ油を熱し、玉ねぎを炒める。しんなりしたら、じゃがいも・にんじんを加える。
だし汁を加え、煮立ったら豚肉・春雨を半分に折って入れ、しょうゆ・みりん・砂糖を加える。煮汁が1/3くらいになるまで弱火で煮る。
火を止めて、常温になるまで冷ます。食べる時に再び加熱して、煮汁がほとんどなくなるまで煮詰める。器に盛って出来上がり。
材料(2人分)
白身魚(さわら) 2切れ
塩 適量
こしょう 適量
片栗粉 適量
●だし汁 200cc
●醤油 大さじ1と1/2
●酒 大さじ1
●みりん 大さじ1
大根 1/5本
薬味ねぎ 適量
サワラは塩を振って10分ほど置き、キッチンペーパーでしっかり水気を拭き取ったらこしょうを振って片栗粉を塗す。
フライパンにやや多めの油を熱し、サワラを5~6分揚げ焼きにする。
小鍋に●を加えてひと煮立ちさせ、大根おろしを軽く絞って加える。
皿にサワラをのせ、③をたっぷりかけて小口切りにしたねぎを散らす。
日本の文化が注目されるようになってずいぶん経ちますが、陶磁器に対しても海外の人たちからの反応は高く、陶器や磁器の購入の他、陶器を作る陶芸体験などに足を運ぶ人も増えてきました。陶磁器のもつ『わび・さび』の心に惹かれるのは世界共通になりつつあるのです。
Shokunin | Mino-Yaki 職人シリーズ・美濃焼
以上、陶磁器の世界を簡単に説明しましたが、いかがだったでしょうか。温かみとわび・さびの心を内包した陶器と洗練され今なお芸術品として愛され続ける磁器。今回紹介したのはほんの一部です。皆さんも色んな陶磁器に触れてみてくださいね。
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